7月・8月 〜聖マダレナの言葉〜

 

7月


神よ、
私を刺すとげは のよう
愛の傷を癒す手のようです。


1日 イエス・キリストの御血と悲しみの聖母の涙を注がれて、十字架の下に生まれた修道会のメンバーとして召されたあなた方は、愛と忠実な生き方、感謝と熱心に満たされて成長するために、どのような精神と高い完徳を目指さねばならないでしょうか。

 

2日 気を落ち着けて元気を出しなさい。私たちにはマリア様が母として与えられています。念祷をめないようにしてください。


貞潔と礼節

3日 私たちは、救いの道に人々を教え導く任務を持っていますので、私たちが世間ではおとめ、地上の天使と呼ばれているように、身も心も天使のようであることが相応しく、また、そうでなければなりません。


4日 私たちの召命は、すべての時間や心遣い、すべての思いを神の栄光のために使うよう、神以外のすべてのものから、内的外的にも完全な離脱を要求します。

 

5日 神は私たちに寛大な精神をお望みになります。私たちは自然的感情によってではなく、信仰を生きる生活をなすべきです。

 

6日 どんなに汚れたものを見ても、少しのしみにも染まない太陽のようでなければなりません。

 

7日 最高の完徳は、たとえ、どんなに霊的なもののように見えても、神からではなく、被造物からくるどんな慰めも求めずに生きることです。

 

8日 ああ、主よ、もし庭園を造るとしたら、最高に美しく珍しい花がなくとも、少なくとも汚れなく清らかな花がありますように。

 

9日 心の清さを保つために、姉妹たちに欠かすことのできないことは謙遜で真の愛をもって、しばしば心を神にあげ正しい意向の目をもって見ながら、神の現存を見失わないことです。

 

10日 聖人たちによれば、礼節は非常に大切なものと見なされ、アッシジ聖フランシスコは説教にも等しいものだと評価しています。

 

11日 一人の例外もなく皆、会憲の正確な遵守と、特に聖堂における外的慎み深さ、また、あなた方の間の会話において、優しく、物静かで温和な態度を心がけなさい。

 

12日 常に、神の聖なる目と天使たちの現存に敬意を表し、慎み深い礼儀と礼儀正しい慎みを守りなさい。


自己放棄

13日 茨の冠をかぶされた方のお側に、優雅さを好む会員を見るのは余りにも相応しくないことです。

 

14日 より良い苦業は、主が時折私たちにお送りくださるもので、これは愛徳の娘の召命に付きものです。

 

15日 神のみ心を行わなければなりません。私たちの好みではなく、神がお喜びになることと神の栄光を求めることです。

 

16日 言うまでもないことですが、愛徳の娘は皆、聖なる母マリアがどれだけのことをしてくださったかを決して忘れぬようにしなければなりません。

17日 すべてにおいて忍耐がいります。

 

18日 人々の救いのためには、苦情や言い訳をせず、穏やかな笑顔で、侮辱を受けた方があなた方の教えや話よりもはるかに有益でしょう。同様に、怒りにまかせてぶちまけた一言は、それまでのどんなに良い教えをも台無しにしてしまうでしょう。

 

19日 私たちのすべての奉仕活動において注意すべき事は、どのような人に対しても、すべての人は同じ代価で贖われていますので、分け隔てなく同じ心で熱心に尽くさなければならないことを銘記しておくことです。

 

20日 毎日出会ういやなこと、好みに反すること、すべてを受け止めながら何の取り乱した言葉も言わないようにしなさい。

 

21日 主の愛のために、たえず自己と闘う者の祈りを主はお聞き入れになります。

 

22日 家の中を徘徊している悪魔についてですが、あなた方のところに行ったら必ずで追い払いましょう。勇気を出して、なにも恐れることはありません。物事が順調に行くには、いつも忍耐強さと平和、勇気が要ります。疑わないでください。きっと聖マリアがあなたを助けてくださるでしょう。

 

23日 私は少なからず性急なところがありますので、平静さと落ち着きをもって生きることは大変なことです。自分を抑制する必要があります。

 

24日 主がなさることはすべてうまく行きます。

 

25日 忍耐しなさい・・・私もまだまだ自己放棄する必要のある自分に忍耐しなければなりません。

 

26日 人々の中に実りをもたらしたい人は、自己放棄によって怒りを抑え、それと闘い、あたかも一個の像のごとく感じなくなるまでにならなければなりません。

 

27日 祈りと助言に耳を傾けること、これは確実な処方箋です。

 

28日 自分のことについては出来るだけ少なく考え、出来ることならすっかり忘れるようにしなさい。空想や想像にはお構いなく主を愛することを考えなさい。

 

29日 召命から来る力は、どんな障害をも乗り越えられるはずです。

 

30日 好奇心は修道会の精神に反するものとして、出来るかぎり抑えるようにしてください。

 

31日 主に長くお仕え出来るためには、熱心さも調整することです。そして、私たちにとって最上の苦行は、愛の奉仕活動において多過ぎるほどあるでしょう。

 

【8月】


神よ、
貧しい人への思いやりの心をお与えください。
私もまた あなたのみ前に
貧しく生きる者。


清貧

1日 愛徳の娘が十字架の秘義を少しでも理解しようとすれば、どんなに厳しい清貧に出遭ったとしても、それは十字架のキリストの状態に比べると遊びか無意味なものに過ぎないでしょう。

 

2日 主がその感嘆すべき宣教生活を開始された時、使徒たちと初代教会のすべての信徒たちが実践した使徒的生活と呼ばれるあの生活様式を定めました。福音宣教と人々の回心とを第一と考えさせるために使徒たちに何を求められましたか。主はすべてを放棄して、完全な共同生活をしながら、完全な清貧に生きることを要求されました。

 

3日 あなたが決してものを所有したいという弱さを持たなかったことを私は良く知っていますし、主の恵みのうちに、私たちが倣おうとしている十字架のキリストの聖なる模範とは実に正反対のこの不幸より、神があなたを守ってくださると希望しています。むしろ、私の愛する娘よ、あなたの聖性を深く望んでいますので、長上は、時折、必要品が不足しているのではという恐れで求め過ぎることに注意してください。

 

4日 神は空の鳥のように私たちを世話してくださいます。少しずつ事は解決していくでしょう。しかし、その間、神への信頼、忍耐、節制、勇気がいります。

 

5日 私も、み摂理の金庫は尽きないものと分かっています。けれども、厚かましさはそれを開ける鍵となっても、実はそれを閉める鍵になってしまうことも知っています。厚かましさと希望を混同しないようにしましょう。希望は徳であり、他方は悪癖です。

 

6日 聖マリアのノヴェーナを熱心になさるようにお願いします。そして、姉妹たちに、とりわけ修練女たちに、私が大変心にかけている徳の実践の伴う念祷を大切にされるようにと伝えてください。ノヴェーナの間毎日、適当と思われる小さな施し、たとえば、最も貧しい少女たちに衣服を与えたり、また、他の最良の方法と思われる施しをするようにお願いします。

 

7日 神の国とその義を求める人には、それ以上のすべてのものが与えられるとのイエス・キリストのみ言葉を信頼しなさい。

 

8日 あまり心配しないで...私の部屋も整頓されているようにお願いします。くもの巣とほこりを払ったら、装飾はもう出来たのです。

 

9日 私たちの召命は、小さな安楽を求めることではなく、神の栄光と人々の善を求めることにあります。

 

10日 姉妹たちは、自分自身や修院内の仕事や愛の奉仕活動においても、神の外は何も求めず、神のみを熱望し、愛し、神だけに基を置いた清貧を実践する姉妹たちは、最も幸せで修道会に相応しく奉仕することでしょう。

 

11日 私たちの聖なる清貧が外に輝いて見えなくても耐え忍びなさい。それよりも主があなた方の清貧と私の望みさえも喜んで受け入れてくださることを、心の中にもっと大事にしてください。

 

12日 すぐ終わってしまうカッポーニよりもポレンタを選ぶ方がはるかにましです。すなわち、途中で放棄しなければならない大きな事業よりも、今の私たちの力に適った小さな善行をする方が良いということを心に留めてください。*注:Capponiは上流階級の食卓に、polentaは庶民の食物


13日 もし、神が、姉妹たちを必需品にも事欠くに値する者と思われるのでしたら、その時こそ大いに喜び、神の国が近づいたと考えてお祝いしなさい。

 

14日 私たちの貧しい人々を助けることが出来ればどんなにうれしいことでしょう!主はいつも私たちを援助してくださいましたし、これからも常に助けてくださることを疑いません。

 

15日 愛する聖母の御足に口づけするために天国に行けたら、ああ、どんなにうれしいことでしょう。

 

16日 神への奉仕とその栄光、それから天国、それ以外のものはただ煙と夢に過ぎません。

 

17日 私の愛する娘たちよ、この世の物事に余計な心配をせずに、どんなことにも思い煩わないでください。神に信頼しなさい。

 

18日 神はすべてに値する方なので、私たちの小さな犠牲などは何でもないことです。

 

19日 『貧しい人々のはしため』としての私たちの召命は、私たちの学校において、常により貧しく見捨てられている生徒を優先させたい気持ちを起こさせます。


離脱

20日 どの国柄、どの地方の人であろうと、私にとって、皆同じように大切な人々です。

 

21日 愛する娘よ、あなたがどんなものにも、私たちの修道院のひとつにさえも何の愛着も持っていないことを私は大変うれしく思います。そして、主の憐れみのうちに、どのような人との出会いにおいても、決して愛着することがありませんように。

 

22日 元気で朗らかに、私たちの愛する聖マリアのやさしい御心のうちに生きるようにお願いします。み心のうちにあなた方を委ねます。

 

23日 この世においても、来世においても、神以外に平和はなく、すべてから離脱して生きる人ほど、この流浪の地において最も平和を楽しむことが出来ます。   私の愛する娘よ、すべてからの離脱について話すことは簡単ですが、私たちの人間性は骨ばかりでなく皮膚までも大切に保とうとするものです。

 

24日 あなたが神にもっと委託し、人間的慰めからも離脱し、真の全面的信頼に満ち溢れている人になるよう心から望んでいます。


25日 清く生きているならば、神への畏れは世俗の愛の根を断ち切り、枝や葉は自然に枯れてしまいます。

 

26日 経験によって分かったのですが、愛徳の娘の道は全面的な離脱にあります。このあわれな生涯は過ぎていきますが、もし、すべてに離脱しているなら、私たちにとって自然死は少しもつらくはないでしょう。

 

27日 すべてから離脱し、ただ神のみと生きることはもっと良いことです!

 

28日 あなた方が聖人になるよう望みます。それはすべてのものから、あらゆる満足感からさえも離脱すればするほど、容易に聖人になれるでしょう。

 

29日 皆で完全な沈黙を守りましょう。そして、私たちが出遭う不快なことについて、主以外の人とは話さないことにしましょう。念祷と共に、沈黙はいかなる嵐をも静めてしまうことを私は悟りました。

 

30日 あなたがあらゆる面で孤立しているのを知っても驚きません。実際に、人間性はこのような犠牲を他のどんなものよりも最も感じることも知っています。神は、ある人にすべてから離脱させながら、ただ神とだけになった時、その人に与えられる特別の恵みであることも分かっていますので、また大変うらやましくもあります。

 

31日 しっかりと天国を目指して、苦しむことにも、喜ぶことにもあまり気にしないようにしましょう。