2021-11-19 画でめぐる聖マダレナ・カノッサの生涯 ヴェローナ 聖マダレナの故郷。『ロミオとジュリエット』の舞台。アディジェ川の渡河点で、ローマ街道が交差する地。古代より重要都市として栄えた。仏革命からの、フランス・オーストリア・ヴェネチアの激戦で戦禍と飢えに苦しむ市民が、数多く生まれた場所でもある。 【誕生】貴族の娘として生まれる、カノッサ宮殿にて。 'Et Filii...『息子と子孫たちが、永遠に住まう場所』 これは、ヴェローナのカノッサ宮殿の入口に書かれた言葉です。 カノッサ家の家紋はその後、聖マダレナの紋章、つまりカノッサ修道女会の紋章へとオマージュされます。 【洗礼式】生後まもなく、宮殿からほど近い聖ロレンツォ教会にて受洗。 【聖マダレナの家族たち】 父:マルケス・オッタビオ侯爵 母:テレサ・スルハ婦人 兄妹:ラウラ・マダレナ、ボニファシオ、ローサ、テオノール 幼少期の肖像画。貧しい人をみると助けていた子供でした。 【5歳のマダレナ】 アディジェ川隣の宮殿テラスで快活に遊ぶ姿。 【幼少期の肖像画】 【青春期の肖像画】 両親...次には親代わりの家庭教師との別れ。精神的悲しみはマダレナを、身体的にも弱らせていきます。 【誰の花嫁に?】「はい...もっとも立派で、裕福で、忠実な方をみつけました。イエス様です。」昼食の席についた皆は驚いたそうです。 【15歳のマダレナ】精神的苦しみと、体調不良で苦しんでいた15歳のマダレナ。未来に創設する共同体のビジョンを見るようになります。 【家長として】皇帝ナポレオンが、イタリア遠征の際に宮殿へ宿泊。若くとも、主人として堂々ともてなした彼女に賞賛を送った。 【三つ子の時から...】マダレナは幼い頃から、とても優しく、貧しい人を見ると放っておけませんでした。きっと神様の導きだったのです。 【貧しい少女たちへ】 修道院からほど近いサンゼノ地区に住む、特に貧しい少女たちへ修道院を開放します。 【修道会創立】聖母マリアは修道院の "創立者" であり ”保護者” です。 【憐れみの聖母のまなざしのもと】少女たちへ、無償の基礎教育、職業訓練、信仰教育を行いました。 【教皇謁見】1828年には教皇レオ2世に謁見し、愛徳の姉妹会の公認を願いました。 【晩年のマダレナの肖像画】 【帰天】それは受難の金曜日の事...まるで生涯を憐れみの聖母とともにいた証の様です。