序文

序文
 
日本における私たちの修道会設立当初の歩みを書くように頼まれたとき、それは私にとっていとも容易なここと思えました。なぜなら、当時のことが現在のことのように見えるからです。それで、私は喜んで書き始めました。とはいえ、私は書きながら、多くのことがらや人たち、出来事を思い出し、それらの記憶は編みこまれていることに気づきました。
 
    どのように全てを書くか。
    全てを書く必要があるか。
    全てを書くのがよいのか。
 
当時の人にとっては、山のように思えたことも、何年もすぎた後では何の意味をも持たない出来事があります。心だけで理解できることもあります。たとえすばらしい文章で書かれていても、他の人たちは何も理解しないことがあります。
 
マドレ アンネッタが冗談で言っていました:「主は全てをご存知です。他の人がそのことを知っていようが知っていまいが、問題ない」
 
ここに書かれていることは、皆さんがすでにご存知のことです。皆さんの中には創立当初のマドレ方の近くにいて共に活動した人がいらっしゃると思います。私は一つのことだけを言いたいと思います。

 

神の描かれたご計画を心に留めましょう。神秘です。神は カノッサ会が来日してから今日に至るまで私たちを導いておられるのです。奇跡です。

 

主はたった一人の魂を救うためにも、ほとんど世界を動かされます。
第二次世界大戦が活かされました。国々と人々の間を符合させました。神は災難からも全を引き出すことがおできになるということです。そして、「神の栄光がよりよく現されるように、取るに足りない人間的手段をも役立たせられます」(聖マダレナ・カノッサ

 

創立者の言葉に「私たちはつまらない女性です」という言葉がありますが、マドレ・フラングエッリは何度もこの言葉を繰り返していました。それは私たちが心の底から感じていた現実でした。
 


この国の言葉が分からないこと
私たちの習慣と全く異なっているために、日本の習慣が分からないこと
日本における教育に準備されていないこと
 


深堀司教様はよくおっしゃっていました。「皆さんは学校の廊下を歩いて姿を見せてください。それで十分です…」


香港で上長たちは状況をよく理解していました。そして、「日本で学校です。そうです。でも、折を見て。今のところ行って準備してください」と言っていました…しかし、主のお望みは即刻でした。延期しないことでした。

 

司教様は「学校はすぐに」と繰り返しおっしゃいました:「皆さんは廊下を歩いてください。しかし、私はすぐ、学校が欲しいのです」
 


この4人のつまらない女性たちは、建設予定の「明光学園」を建設するのも、設立するのも彼女たちではないことをまさに、直接 体験し、理解することになりました。

 

今日においても、私たちよりも大きな困難に出会う時に、すばやく受け入れて立ち上がるように、神の御力の神秘を感じます。
 


私たちはいつも主によって望まれた事業のうちに働くこと、明光学園を大きくするのは私たちにできることではなく、主であることを自覚しています。学校は主のイニシャティブ、主の事業なのです。

 

私たちは何者でしょうか。私たちは、常に、「つまらない女性」であることを考え、心をこめ、大きな声で天に向かって「マグニフィカト」を歌いましょう。「主のみが偉大なことをなさいました。主だけが偉大なことをなさいます」

 

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