聖マダレナとフランス革命
マダレナ・カノッサはなぜ聖人になったのか。それは、彼女の生まれながらの霊性の賜物です。でも彼女が生きた時代背景にもヒントがありそうです。
仏革命は、聖人の故郷ヴェローナに混乱と困窮をもたらします。また、貴族である彼女は実際にナポレオンと対面しています。複雑な当時の社会、出来心を振り返りながら、聖マダレナの霊性を省みましょう。
①ナポレオンのイタリア遠征
フランス革命、ナポレオンのイタリア遠征は、ヴェローナの街を戦禍へ変え、市民は、土地・美術品・建物・女性...多くをを失うことになります。この歴史の渦の中に生まれたのが、聖マダレナ・カノッサ、その人だったのです。さぁ、フランス革命とヴェローナの関係へ!
■1793年1月21日
ルイ16世 ギロチンで処刑。
■1796年4月
ナポレオンの侵攻 (イタリア遠征)
フランス軍実数約25,000を率いてアルプス山脈を越え、北イタリアへ。ヴェローナはこの後戦禍に。
ナポレオンは、宿としてカノッサ宮殿に宿泊。主として、聖マダレナ・カノッサがもてなす。反キリスト教(革命家) vs 古代よりの信仰の土地
フランス vs 北イタリア仏革命家が、貴重品、食料品、家畜、衣服、文化遺産、美術品、土地・建物、質屋、女性…数多くの物を強奪。また、北イタリアの聖人像などを破壊する。ヴェローナ司教は、聖職者たちに真の自由と国のため説教をするように勧告。更に、国のため教会の全銀食器を溶かすように命ず。
②変わり果てるヴェローナの街
ナポレオン率いるフランス軍が、アルプスの山を越え、北イタリアのヴェローナに着きます。歴史的モニュメントや、教会の像... あらゆるものが持ち去られてしまいます。
■4月17日
Veronese Easter(イースターの戦い)
ナポレオン軍の強奪行為に対する、自由軍(市民) の対決のこと。賠償金の支払、美術品等の資産の引渡しを迫り、4月25日反乱は終結。約1週間の戦いで、ヴェローナの街は様変わりする。
ヴェローナカテドラルの「聖母像」事件
革命家たちが、聖母像の王冠の強奪狙っていると知った信心会の人達は。敬虔な職人が一晩で鍛造した金銅の王冠にすり替える。翌朝革命家たちが王冠を奪う際、偽物と気づき像を奪い、高額な身代金を要求した。敬虔な貴族が、自分の名前を明かさないことを条件に、身代金を支払うことを申し出た。
■5月12日
ヴェネチア共和国の終わり。最後の総督が、ナポレオンの条件に降伏し退位。
ポルタ・ヌオーヴァでの処刑
Veronese Easter後、ヴェローナの貴族や政治家が革命形によって処刑。
■10月
カンポ=フォルミオの和約
■1799年
オーストリア伊を仏から奪還
再びヴェローナは、戦禍となる。
■1800年
ナポレオンの第2次イタリア遠征
■1805年
ヴェローナの戦い
ナポレオンは遠征の折、宿としてカノッサ宮殿に宿泊 (1807年も) 。
■1815年
ワーテルローの戦い
ナポレオンはプロイセン軍に破れ、流刑。
その後北イタリアは、ウィーン体制のもとオーストリアの支配。
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